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只今、体験記ライター中。しばらくお待ちを・・・
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適正検査の結果を手に1階の事務所に行った。
事務所ではやっこ先生がパソコンの画面を見ながら渋い顔をしていた。 時はすでに2月。繁忙期である。 渋い顔のやっこ先生に「予約なんだけど・・・」と申し訳なさそうに言った。 するとやっこ先生は「いつから教習したいのだ?」と私に尋ねた。 私は「2月11日以降に教習を開始したいので・・・13日は?」と言った。やっこ先生は横においてある勤務予定表で万次郎の出勤を確認した。(私の教習は万次郎が担当することになっているのだ。) 「いいよ」とやっこ先生は言いながら予約をした。そして続けて16、21日の予約も入れてくれた。 今日はこれで終了。 無事に入校できたこと、予約がとれたこと、適正の結果のことなどを銀河に報告に行くことにした。 すると銀河の近くに座っている人達に「どうしたの?」「なぜ?」「この時期に?」などと数々の質問を投げ掛けられた。記者会見でも受けているようだった。大特の入校は私が思っている以上に衝撃的な出来事だったらしい。私はことの真相を言わずに、「大」のつく免許の中で一番とれそうだったから・・・と言った。本当の理由は内緒である。 記者会見にあっていると後ろからやっこ先生が私を呼んだ。 「じゅんぺい、次の時間、乗るか?万次郎もいるし・・・」と言った? 「えっ!!」 8時限目に教習を予定していた生徒が急遽、キャンセルをしたため空きがでたらしい。万次郎も出勤しているし時間があるならどうだ?ということだった。 突然のことに私はわけがわからないまま「はい!!」と言ってしまった。 勢いで「はい!!」と返事してしまったものの心の準備はまったく出来ていない。冷静になればなるほど自分の言った言葉に後悔した。 大丈夫だろうか… 次の時間までに予習をしておこうと思い、「大特の運転の方法、わからないけど教本とはないの?」とやっこ先生に言うと「知らなくて当たり前。だから教習するのだろう。予習なんてしなくていいよ。」と言われた。 やっこ先生の言うのはもっともだと思った。そう思えたらだんだん気が楽になって行った。 そして30分後、私は第1回目の大特教習を行うことになった。 つづく・・・ |
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2月5日(日)。
いよいよ入校日がやってきた。二輪のように自宅で練習することはできないためコースを走っている車両をみながらイメージトレーニングをしていた。 入校は午後からのため早めのお昼を食べて学校に向かった。 学校の玄関からまっすぐカウンターに向かう。いつもは玄関、横の階段をのぼり4F事務所に行く。受付コーナーで黄色の葉書を差し出すと「はい、どうぞ」とオレンジ色の大特の教習簿を渡された。そして、隣の会計に移動し教習料を支払った。できることならこの会計コーナーにお世話になるのはこれで最後にしたいと思った。運転音痴である私が規程教程で終了するのは難しいこととわかっているが1教程7000円以上の出費はやはり痛い。(二輪の約2倍である。)二輪のときはこの領収書を3回ほど手にしたが今回はどうなることだろう。領収書をみながらこれで終わりますように・・・と願った。 入校説明まで事務所で待つことにした。 やっこ先生と話をしていると後ろから、えび先生が「じゅんぺいさん」と声をかけてきた。 これから入校説明があるのか?と思いきや「入校説明はいならいですよね。何かわからないことがあったら言って下さい。適性検査は14:10から31教室で行いますので・・・」と言われ入校の教習の手引きと駐車許可書を渡された。あとは時間がくるまで待だけだった。(本日の大特の入校は私だけだった。) 適性検査まではあと1時間ほどある。そこへ、またまたえび先生がやってきて「じゅんぺいさん、予約はどうしますか?大特の場合、こちらで予約をとるのですが…」と言って来た。 その瞬間「まずい!!」と思った。えび先生に予約の相談をしてしまったら今回、入校した意味がない。私は焦る気持ちを隠しながら「別に急いでいないので予約はあとで取ります」と伝えた。するとえび先生は「では予約したい日が決まったら僕かやっこ先生に言って下さい。」と言いその場を去っていった。 そろそろ14:00。3階の31教室に移動した。 31教室は30人収容できるがこれから適性検査をうけるのは大型、牽引、大特で入校した3人のみ。席は自由であるが3人は一番前の列に並んで座った。誰が検査を行うのだろうとちょっとドキドキ。 部屋のドアが開き、シェフ先生が入って来た。 「えっ!!」とシェフ先生は驚いた表情で私をみた。私は、にやっと笑った。 シェフ先生は何かを言いたそうだったが他の人がいたのでそのまま適性検査の説明を始めた。 きっとシェフ先生の頭の中には「???」がいっぱいだったに違いない。 二輪の入校をしたときも同じ検査を行った。検査はシェフ先生の指示のもと1問目から順番に行っていく。検査2問目は○と○の重なりを問う問題。私が一番苦手としている問題である。練習を行ったが見事に間違えた。気持ちを切り替え本番の検査に向かった。 シェフ先生の「スタート」のかけ声とともに検査は開始した。練習のときの教訓から慎重に慎重にと思いながら行ったが2つの○の重なりの幅、見れば見るほど判らなくなってくる。大きいような、小さいような・・・。 そのうちに「ストップ」というかけ声がかかり検査は終了した。 解答できたものはごく僅かであった。しかも、正しいのかわからない。両サイドをちらりとみると沢山の丸が書いてある。皆、どうしてわかるのか不思議だった。 検査は次の項目に進み、二者択一の問題を最後に適性検査は終了した。 これで入校日に予定されていたことは全て終了したが、そのままシェフ先生の後を追いかけ適性検査の結果を教えてもらうことにした。 結果は・・・ 「操作が遅い、状況判断が遅い」 凄い!!と思った。この検査だけで自分でも納得する結果に脱帽した。 これからはこの結果を真摯に受け止め教習しようと心に誓った。 つづく・・・ |
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1月23日。
大特の免許取得に向けての準備がはじまった。 教習は万次郎に担当してもらうと決めていた。 朝一番で万次郎のもとに向かった。万次郎は朝の洗車が終了し煙草を吸っていた。指導員は毎朝、車を洗車するところからスタートする。 「おはよう」と言いながら「あの・・・」と大特の入校を考えていると告げた。 万次郎は「え〜!!おまえは何を考えているのだ。」と言った。万次郎には数年前、大特のバケットに憧れたとき免許を取りたいとちょっと話したことがあったので少しは免疫ができていると思っていたがそうではなかった。私の発言に「俺にはわからん」という表情をしながら驚いていた。 驚く万次郎に申込み期限が切れそうで、それを回避するために二輪以外で免許をとるとしたら自分の技量では大特がベストであることを伝えた。万次郎は「免許をとってどうする?」ということを除き、技量的な部分を考えた大特を選択した私にまぁまぁ納得していた。 そして「オーバーするなよ。大特で規定時限をオーバーする人、検定に不合格になる人はいないからな。」と言い残して立ち去った。 えっ!!そうなの…。万次郎の言葉が私にプレッシャーという重荷を与えた。 そして私は万次郎の言葉の真相を突きとめようと過去数年の状況を調べ始めた。 結果は… 1年に1人くらい規定教程数をオーバーする人がいる。 1年に1人くらい検定に不合格になる人がいる。 万次郎の言ったとおりではなかったがオーバーする人などほとんどいないことが判明した。この結果に普通の人だったらプレッシャーが増大するかもしれないが私の場合、自分がとんでもなく運転音痴であることを十分、自覚しているためこの結果にとても安堵した。 (1人でもオーバーする人がいれば満足である。) 下調べがほぼ終了しあとは申込書を書くばかりと思っていたが重要なことを忘れていたことに気がついた。それは運転するにとても重要なことであった。 私の体系は横には広いが縦には短いが特徴である。 ということは… 「大」という文字がつく車を運転するにあたり足が届くか調べる必要があった。そういえば二輪が先送りになった一番の要因は足が届かなかったことであった。大特の場合はどうであろう?もしやここで断念?ちょっと不安が頭をよぎった。 考えるより行動あるのみ。休み時間に座ってみることにした。 大型だけあって運転席に乗るのも一苦労。事務所を出るときに「落ちるなよ!!」と言われたがその意味がとてもよくわかった。 運転席は思いのほか高い位置にあり子供の頃に猿のように木に登ったときのことを思い出した。よじ登り、やっと運転席に座ることができた。そして、アクセルペダルとブレーキペダルに足を乗せてみる。 余裕で足は届いた。 もうこれで下準備は終了。 正式な申込書を記載し、次の日、コン課長に提出した。 入校日は2月5日に決まった。 つづく・・・ |
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大特の免許をとることを決意したと銀河に報告した。銀河は私の決意表明に怪訝顔だ。しかし私の決意は銀河の反対に揺れ動くようなものではない。たとえ反対されたとしても私は免許をとる。わざわざ銀河の承諾を得る必要もないが銀河の反対のもとで入校することは避けたかった。なぜなら今回の免許の点火剤となったやっこ先生との関係は仕事を通してのみ築かれたものではなく銀河とやっこ先生との深い絆の影響もあるからである。
二人は同じ高校の同級生のうえ、同じ職場に入り一緒に仕事した仲である。銀河系を自分でまわしていると思っているやんちゃくれな銀河に対し、農家の長男らしく人情味があり誰とでも上手に付き合うことが出来るやっこ先生。ある面では対照的な二人であるが二人はとても仲良しである。 10数年前、私が入社したときの上司は銀河だった。私は銀河にとっての初部下だった。ちょっと恐そうな銀河にビクビクしたこともあったが直ぐに慣れることができた。きっと馬があったのかもしれない。それから銀河と公私ともに仲が良く、仕事では配車係り(配車の中枢)であったやっこ先生とも親しくしてもらった。 配車係りとは?少しだけ説明をしておきたいと思う。 自動車学校に通った人はわかると思うが技能教習を行うときには何日の何時間目に教習を行うのか事前に予約を行う。ホテルに宿泊する場合に予約すると思うがこれと同じである。 ホテルの場合は部屋数に限りがありそれ以上の予約を受けることはないだろう。また、予約できるのは最大の部屋数とは限らない。きっと部屋にも保守点検等があり利用しても良い日、悪い日などがあると思う。仮に予約を受けてしまえば後からチェックインする人と大きなトラブルが起こるだろう。 ホテルではそのような制約などを管理し予約の取りまとめを行う部門があると思うが自動車学校ではこの部門が配車係りになる。(他の自動車学校では違うかもしれないが…)ちなみに自動車学校の場合は指導員や車両数、また教習車種、生徒の進度状況などにより予約のできる数が決まる。やっこ先生は指導員の勤務や車の管理をしながらお客様からクレームがでないよう適切な予約管理をしている。 これらの業務のデータ処理をコンピュータにより行っているが、この業務をシステム化しメンテナンスしているのが私の仕事である。このため、現場のやっこ先生からは「こうしてくれ・・・」「これでは困る・・・」「これおかしいけど・・・」など色々な要望があがる。要望に応えるばかりでなく逆に私から「こうしてもらえないか・・・」とお願いするケースもしばしばある。また法改正等のシステム大改革時には、どのように対応したらよいかと相談にのってもらいながら修正したシステムの検証も行ってもらった。 昔は今のような高性能の機械ではなかったので大改革のときは業務終了後の深夜に修正版のテストを行うこともしばしば。必然的に昼夜が逆転することもあったが、やっこ先生はいやな顔ひとつせずに協力してくれ、私たちとともに昼夜逆転生活を送ってくれた。 やっこ先生は私たちの「あら(バグ)」探しの達人でもあった。 またプライベートでも、やっこ先生には色々お世話になった。ゴルフに連れて行ってもらったときは一緒にコースを廻ってくれ私のジグザグゴルフに嫌な顔をせずに笑いながら付き合ってくれた。 やっこ先生はきっぷがよく、皆を知り合いの寿司屋に連れて行ってくれ沢山ご馳走してくれた。 やっこ先生との思い出は他にも沢山あるが、私はやっこ先生との職場での最後の思い出作りとして、やっこ先生に最後のわがままを聞いてもらおうと思い免許をとることにした。 この熱い(?)思いを反対していた銀河に語った。 銀河はいつになく真剣に話を聴いてくれ「わかった。やっこ先生にも良い思い出を残すよう頑張れ!!」と励ましてくれた。 今回の点火剤は、この三人の不思議なトライアングルから導きだされたものであった。 つづく・・・ |
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甥っ子のラグビー観戦に行って来た。
どんな試合になるやら…。昨夜、ホームページで相手チームを研究したがなかなか相手は手強そうだった。 グランドに行くと相手チームが既に練習していた。 バスが到着し甥っ子チームが到着した。 朝早く起きてこちらに来たせいか皆、なんとなく眠そう…。 準備運動を開始し少しずつ体を慣らしていった。 親善試合ではあるが開会式を行いその後、試合がスタートした。 ラグビーのルールはよくわからないが大声を出しながら応援した。 結果は負けてしまったがなかなかよく戦った。 子供より親のほうが真剣になるとよく聞くがその気持ちがわかった。 甥っ子チームは試合終了後「うなぎパイ」で静岡を満喫し帰宅した。 |
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今日はお休み。
職場に用事があり事務所に向かった。 今日は後輩がお仕事しているのでケーキ屋で差し入れを購入しようと思って家を出た。 運転に集中していたせいか気がついた時には職場の駐車場にいた。 あっ!!ケーキ屋に寄るの忘れた!! 職場近くのセブンイレブンに行きシュークリーム…etcを持ってレジに向かった。 店員さんがバーコード、ピッピッピッ… あっ、お財布にお金あったかな? 慌ててお財布みたらお札入れは空。 小銭入れには100円玉が数枚。 やばい足らない… 慌ててすみませんちょっと待って下さいと言い、ATMに直行。 幸いにもカードは所持していた。 お金をおろし無事に支払い終了。 よっかった。 ATMに感謝、感謝!! |
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1月27日。
トラブルメーカーの私はいつものように1階フロアでトラブル対応に追われていた。やっとトラブルも解決し事務所に戻ろうとしたとき、やっこ先生から「じゅんぺい」と呼び止められた。 ゲッ!!またトラブル?と思ったら、やっこ先生は「早いなぁ〜。あと2ヶ月だよ。」と意味ありげに言ってきた。 あと2ヶ月で今年度は終了する。しかしこの言葉にはもっと深い意味があるような気がした。そもそも「早いなぁ〜」という言葉は節目で使われることが多い言葉だが年度末のときに使うより12月に使うことのほうが多い。この時期の「この言葉?」とても嫌な予感がした。 そんな予感を振り切るように私は「そうだね、あと2ヶ月で今年度も終わりだね。」と言った。やっこ先生は私がわかっていないなと思ったらしく「じゅんぺい、ちょっとおいで」と私をパソコンの前に呼んだ。パソコン画面にはExcelで作成されたやっこ先生達のシフト勤務予定表が表示されていた。 やっこ先生は1月分の予定表、2月分、3月分と順番に見せた。そして最後に「これが4月分の予定表なんだ。」と言いながら私に4月分の予定表をみせた。その予定表にはやっこ先生の名前はなかった。やっこ先生は「ここには俺の名前がないんだよ。」と言った。 ここまで見せられたらいくら天然の私でも理解はできる。 先ほどのやっこ先生の「早いなぁ〜」の言葉には「この職場にいるのも・・・」を意味していた。 私の嫌な予感は的中した。 やっこ先生が職場を去る話は噂で聞いていたが噂で終わってほしいと願っていただけにそれが事実であることを知らされたことに落胆した。 10年以上勤めていると人が去っていく場面には数多く遭遇している。勤めている以上、職場から人が去ることは当然のことで今回のこともその一つに過ぎない。しかし、私にとってやっこ先生が退職することはいつもと違う特別な思いがあった。 やっこ先生とは同じ事務所で一緒に仕事をしていたわけでもない。しかし、道路交通法の改正などでシステムに大きな修正が必要になったときには必ず助けてもらっていた。もちろん昨年6月のAT二輪の改正のときも同様であった。また、やっこ先生は銀河と同期、同級生でもあり銀河を通じて仕事外でも接する機会も多く、私の中では「仲間」として位置づけられていた。やはり「仲間」と思える人がいなくなるのは寂しいものである。 変わらない事実を知りながら私はやっこ先生に最後の望みをこめて「もう決定なの?変わることはないの?」と尋ねた。 「変わることはないな。家でも既に準備をしているんだよ。」とやっこ先生は答えた。 やっこ先生の家は苺農家である。4月からは家業を継ぐことにしたのだ。 話をすればするほど私の中から何かあついものが込み上げてきた。やばい!!このままだと涙がこぼれると思った。ここで泣くわけにはいかない。 「残念だなぁ〜」という言葉を残し事務所を後にした。 こみ上げる熱い思いをひたかくして階段を駆け上った。 この事件が入校を迷っていた私の爆弾行動の点火剤になった。 そうだ!!大特の免許を取ろう。 ちょうどこれからの時期は繁忙期である。 繁忙期? 2月は高校3年生が家庭学習に入り自動車学校は朝から夜まで大忙し。少子高齢化の時代ではあるが2月のこの時期はやはり忙しい。社員は休み返上で教習予約枠を増やすために努力している。 やっこ先生は配車担当として教習生が乗車できるよう奔走し、パソコンに表示された指導員の数と予約の数をみながら指導員が足らないと頭を抱えている。 入校生が多いのはありがたいが普通車外の入校、そして社員が入校することはご法度の時期である。こんな時期に入校したら上の者から言われることは想像がつく。しかし、それを知りながら私はやっこ先生に私の最後のわがままを聞いてもらおうと入校することを決意した。 来週につづく・・・ |
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二輪免許のバージョンアップは先送りせざるを得なくなった。
ここで、また一つの問題が・・・。 暖かな時期まで入校を遅らせると卒業した8月から半年が経過してしまう。卒業日に提出した二輪バージョンアップの申込書の有効期限は半年間である。半年以内に入校しなければ特別価格で入校できない。 この特別価格はとてもお得で、半年以内に他の車種の入校をすると数万円割引されるサービスである。 暖かくなる3月になっての入校ではこの価格の適用は無理。この価格での入校を可能にするにはどうしたらよいものかと考えた。 方法はただ一つ。 「別の免許を取得する」 職場では二輪の他に大型、牽引、大特の教習も行われている。この3種類の中から迷うことなく「大特」の免許を選択した。 大特の免許に興味を持ったのは数年前のこと。 事務所からコースを眺めていたときのことだった。いつものように大特教習車がコースを走っていた。車の前についている大きなシャベル(バケット)をみながらあれはどうやって動かすのだろう?とふと思った。甥っ子とよくシャベルカーのおもちゃで遊んだ記憶がある。できれば本物を動かしてみたいと思った。そのことを銀河に話してみたら、帰ってきた言葉は、「面白いやつだな、あのバケット操作の練習は数分程度、教習所は公道を走る練習をするとこだよ。」と言われた。 そんな公道を走る練習してもつまらない!! もしコースに大きな砂場が二つあり、大特の教習で砂場から砂場まで砂を運ぶ練習があったらどんなに楽しいだろうと思った。大特免許には興味を失いつつもバケット操作への憧れは諦めきれずにいた。 その後、大特免許に向けて朗報が入った。実は大特はAT車であることが判明した。 運転音痴の私にとってAT車かMT車かはとても重要なことである。現在の私の免許に「AT車に…」に限るの文字はない。つまりマニュアル車を運転してもよい免許である。しかし、「運転してもよい」と「運転できる」には大きな違いがある。私の場合、「運転してもよいが実際に運転できるかは疑問である」ちなみに免許取得後、マニュアルの車を運転したことは数えるほどもない。こんな私にとって大特がAT車であることは願ってもないことであった。大特免許を取得したい気持ちがひしひしと膨らんでいった。 そして今日を迎えた。 ちょうどよいこの機会に数年前から考えていたことを実現しようと思った。 そして銀河に大特の免許をとると宣言した。銀河からは「もったいない」と大反対された。多分、銀河でなくてもたいていの人が銀河と同じことをいうだろう。 大型の免許ならもし職がなくなったとしても職探しの際に役立つ可能性がある。転職しなくとも親族大旅行などで大型レンタカーを借りた際、運転手として活躍する場があるかもしれない。 それでは大特はどうであろう。ほぼ活躍できる場面は「無」に等しい。なんのためにこの免許があるのか?と思うくらい私にとって活躍する場面はないであろう。 O型で動物的本能が強い銀河にしてはめずらしく冷静で理論的な話を続けた。申込書の有効期限(卒業後、半年以内の入校特典)のために入校を考えているならば半年以上経過しても卒業生割引で入校する場合と乗ることがない大特の免許にかかる費用を比較して決めるべきだと言った。銀河の言っていることに間違いはなかった。銀河の言葉に納得しつつも、「でも…」と思う気持ちが交錯し入校の申込みができずに日々が過ぎていった。 そんな私に、「Go!!」の点火をつけた出来事が発生した。 つづく… |
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11月下旬。
銀河の試験が終了した。これでやっと入校!!と思っていた。しかし、またまた延期する出来事が発生した。今度は私の試験が待っていた。 試験? 教習資格とるの?と思うかもしれないがこの技量で教習資格はありえない。(いつかは受けろと言われるかもしれないが…) 私を待ち構えていたものは職場内の適正試験だった。試験は職場のことから一般常識まで広範囲のうえ試験当日に課題レポートを提出することになっていた。試験官は直属の上司だった。普段、普通に会話をしている関係が逆にプレッシャーとなった。運転音痴であるとともにプレシャーに弱い私。とても入校する状況ではなくなってしまった。 12月5日。 私を苦しめていた試験が終了した。重くのしかかっていたプレッシャーから解放され開放感いっぱいの時を過ごしていた。 「さぁ、今度こそ入校だ!!」 入校するための障害は全て取り除かれたはずであった。 しかし、またまた私の入校を妨げる要因が発生した。それは日本を襲った大寒波。雪の降らない、暖かなこの地方でも今年の寒さは厳しかった。12月にしては早い氷を横目に毎朝、通勤していた。吐く息は白く、出るくる言葉は「おー寒い!!」 ちなみに二輪の教習は寒いからといって室内の暖房設備が整っている場所で行うわけではない。春夏秋冬とわず、更に天候にも左右されず教習を行う場所は1年365日、屋外である。二輪の教習はそんな過酷な環境のなか行うのである。 このブログを読んでいる人の中には本気で免許がとりたいならが寒さなんて関係ないと思う人も数多くいると思うが私にとってこれはとても重要なことである。 なぜなら・・・ 足の届かない普通二輪。教習中、間違いなく転倒するであろう。 寒さは痛さを倍増する。 寒さは体を硬直させる。 硬直した体で転倒したら大きなケガになる。 銀河もこの大寒波に音痴が教習するのは危険だと大反対した。銀河の場合、危険というよりもこの寒さの中、教習を行うのは避けたいという気持ちのほうが強かったかもしれない。 11月に1つ歳をとった私はこの寒さに挑戦することができなかった。実はバイク練習もこの寒さでちょっとお休みしていた。 私の入校は更に見送ることになった。 ここまで書くと本当にバージョンアップする気があるの?と問いただしたくなるが、近い将来、必ずバージョンアップをする気持ちに変わりはない。 いつかマイバイクを手にする日まで・・・ つづく… |
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9月下旬。
3ヶ月続いた実習が終了した。これからは風邪をひいてもケガをしてもとりあえず大丈夫。 これで私の免許もバージョンアップ!! 開放感に浸りながら入校をいつにしようかと考えていた。しかし、一つだけ心配ごとがあった。 心配ごとは二輪免許取得後、普通二輪入校のための事前審査をしたときから芽生えた。 それは・・・ 「足が届かないこと」 この世の中には足が届かなくても普通二輪の免許を取りに来る人は大勢いる。そういえば同じ日に卒業検定を受けた子の中に私と同じくらい体型だが大型二輪の検定を受けていた。 足が届かなければバランスでカバーすればよい。もともとバイク好きの人であればきっとセンスもありバランスをとることはいとも簡単なことであろう。しかし、私の場合、このブログのタイトルのとおり正真正銘の運転音痴である。バランスをとることが自分にとってどれくらい大変なことかは充分理解している。 自分の運転音痴さがわかっているだけに「足が届かないこと」はとても大きなリスクであり、ここから芽生えた不安は日に日に成長していった。 どうしよう・・・。 借りたバイクで坂道発進の練習をすれば、ほぼ8割はエンストする。こんな状態で大丈夫?自分に問いかけた。やっぱりまだ早い。もう半月、借りたバイクで練習することにした。 半月後、いよいよ入校と思いきやまたまた延期する出来事が発生した。 運転音痴の私の教習は銀河が担当することになっていたが、教習のできない状況になってしまったのだ。銀河が病気になったわけでなく、ケガをしたわけでもない。それどころか更に自己中心的な行動がパワーアップし生きいきしている。 それならば、なぜ? 銀河は11月に行われる検定員の審査を受検するために試験勉強に没頭することになったのだ。 「検定員の審査」について簡単に触れておく。 教習所の指導員は決して運転が上手だから教習ができるというものではなく教習を行ってもよい証、「教習資格」を取得しているから教えることができるのである。逆を言えば運転が下手でも教習資格を持っていれば指導員として仕事を行うことができるということになるが資格を取ることはそんな簡単なことではない。それなりの知識と技術がなければまず合格は無理である。教習資格とはそれなりの人に与えられたそれなりに価値のある資格である。 さて検定員は?というとこれも同じく検定を行ってよいと認める証、「検定資格」を持っていなければ修了検定や卒業検定の際に合否を決めることはできない。検定とは運転技能の良し悪しの判定であり検定員はその技量を見極める必要がある。必然的に教習資格以上に難しい試験であることは想像がつく。一般的に検定資格を取得するのには数回受検し、やっと合格できるという狭き門である。 運転音痴の私にとって銀河の教習は必須事項。このため11月の検定資格の試験が終了するまで私の入校はお預けとなってしまった。 次こそは入校だ!! つづく・・・ |
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二輪体験記が終了してからこのブログがまったく面白くないとある人に言われた。
二輪体験記を読んでいた人ならばこんなことをはっきり言うのは誰か想像がつくと思う・・・。 想像できた人、その人物がおそらくビンゴである。 「ふん!!」と思ったが言われても仕方がない。 なぜなら… 二輪体験記を書いているときはキーボードを動かす手も軽やかで、楽しみながら書いていた。ところが、体験記終了後、ブログを打つ手にあのスムーズさはない。そして書いている本人も楽しくない。 書いている本人が楽しくないのだから読み手はもっとつまらないだろう。 いつまでこのつまらないブログが続くのか・・・。 充電も十分でき、そろそろ自分も楽しむブログを書き始めてもいい頃だと思っていた。 二輪の免許を取得したのが8月、もうすぐ半年が経とうとしている。免許を手にした8月のときの勢いなら小型二輪から普通二輪の審査が終了し、既に400ccのバイクが運転できる普通二輪の免許を取得していてもおかしくない。しかし、いまだに私の免許には「普通二輪は小型二輪に限る」の文字が書いてある。 あの二輪体験記のブログはうそ??? いやいや、そんなことはない。確かに老化とともに少々記憶の欠落から間違ったことを書いたかもしれないがブログに書いた気持ちに嘘偽りはない。 ならばどうして・・・? 今回の第二弾!!体験記はあの頃にさかのぼり書き始めたいと思う。 8月25日(木)晴れて二輪の免許を取得することができた。この日、また数ヵ月後にこの場所に来ようと思い運転免許試験場をあとにした。 「普通二輪は小型二輪に限る」の文字を消すぞ!!と意気込み、数日後、銀河に相談した。 いつものごとく銀河は渋い顔。基本的に私の「運転」にまつわる話をしているときは常にこの顔である。いつもの顔に動揺することもなく普通二輪の限定解除をしたいのだとひたすら話をした。 銀河は渋々、二輪実習室に私を連れて行った。とりあえず事前審査を行った。 二輪の入校の場合、倒れたバイクを1人で起こすことができるか事前に確認することになっている。 倒れたバイクを前にして銀河は 「審査をするのであればこのバイクを起こしてみろ。普通二輪の場合、転倒はさけられない。これが起こせなければ無理だ。」と言い放った。 以前、同じ挑戦をしたことがあったがその時は二輪はびくともしなかった。しかし、あの時とは違う。少なくとも今の私の免許には「普二輪」の文字が書いてある。バイクの重さにもだいぶ慣れている。 体をバイクにもたれかかるように寄せ力を入れた。バイクはゆっくりと動いた。地面、体、バイクで三角形を描いた。地面の辺が徐々に短くなりバイク、体、地面をつなげていた三角形がそれぞれの線になりバイクは見事に起き上がった。 銀河はびっくり顔だった。 私は得意顔。 どうだ、みたか!!と心の中で叫んだ。 続けて銀河が言った。 「起こしたかぁ〜。じゃぁ、足が届くか試してみろ!!」 ステップを降ろし座ってみる。 あぁぁ…。足がつりそう〜。足は無残にも届かなかった。あと2センチ車体が低ければ…。何度も試したが突然、足が伸びることも、突然車体が低くなることもない。 どうしよう…。これで坂道発進ができるだろうか?悩みながら今まで楽しさしかなかった気持ちに少しだけ怖さというものが芽生えた。 悩んだ末、入校は見送ることにした。しかし、諦めたわけではない。1ヶ月間、小型二輪で練習し技量をあげてから入校しようと思った。 ちょうど1ヶ月後には現在、週末に行っている大学の実習が終了する。実習が終了すればケガをしても大きな問題は発生しない。1ヶ月は練習するには長くも短くもないほどよい期間である。 1ヶ月の練習期間をとることにしたが肝心のバイクがない。1ヶ月のためにバイクを購入するわけにもいかない。色々考えた末、バイクレンタルを探してみることにした。しかし、レンタルと一言で言っても運転音痴の私がバイク屋を知っているわけがない。 そこでライダー柴犬さんに相談してみることにした。 するとなんとライダー柴犬さんは無謀にも私にバイクを貸してくれるという。 願ってもない話に私は喜んだ。でも、足が届くだろうか?転倒してバイクを壊してしまうかも…色々なことが頭を駆け巡りまたまた悩んだ。 が…、ライダー柴犬さんの好意に甘えることにした。 ありがとうライダー柴犬さん!! そして数日後、バイクが家にやって来た。 そして、9月末まで私はこのバイクとともに過ごすことになった。 このバイク談義を書き始めたら「第二弾!!体験記」がはるか先になってしまう。このためバイク談義は「続・二輪体験記」で書くことにしたいと思う。 つづく… |
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昨日のイライラは本日、午前中に終止符を打った。
そしたら仕事もはかどる、はかどる。 やっぱりメンタルの影響って大きいよね。 痛感しました。 |
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今日は朝からイライラ。
どこまで続くのかと思ったら結局、帰りまで続いた。 今日は早く寝て、嫌なことは忘れよう!! |
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めざましテレビによれば…今日の射手座は12位。
最悪の日。 今日はおとなしくしていようと思い家を出た。 残りあと2時間。 何事もなく最悪の1日が終了しようとしている。 明日の射手座は何位だろう? |
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土曜日に1日寝ていたせいか風邪はだいぶよくなりました。
土曜日に医者にいきましたがメチャ込みで待合室にいる間にどんどん悪化していきそうな気がしました。 風邪をひいたら「寝る」に限るですね。 さて、私のなんちゃって作家人生がはじまりそうな予感です。 ブログに更新を始めるのは未定ですが近いうちにアップしたいと思っています。 また、楽しんでもらえるとうれしいのですが… |
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昨日は22時前に寝たのに今日もイガイガは続いた。
そひて風邪はだんだん悪化してきている。 ユンケル&薬に頼らなければ駄目かな・・・ 今日も早く寝よう!! |
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